| 1.開会挨拶 2.基調講演 テーマ 『堺東』 講師 間宮 吉彦 氏(空間デザイナー) 講師 阪本 順治 氏(映画監督) 3.パネルディスカッション 【パネリスト】 阪本 順治 氏(映画監督) 間宮 吉彦 氏(空間デザイナー) 阪本 武 氏(『そや堺 ええ街つくり隊』 隊長) 【コーディネーター】 忽那 裕樹 氏(界-DESIGN/ランドスケープ・デザイナー) |
開会の挨拶『そや堺ええ街つくり隊』 隊長 阪本武![]() |
| みなさん、こんばんは。 本日はええ街つくり隊の街角シンポジウム・堺東賑わい劇場第3幕にお越しいただきまして大変ありがとうございます。このイベントは我々そや堺ええ街つくり隊が企画しているわけでございますが、皆様方の中には、そもそもこの組織がどんな組織で何をしようとしているのか疑問をお持ちのことだとだと思いますので、簡単にご説明したいと思います。 2年前、行政の方の呼びかけによりまして、今年4月に政令指定都市となります堺市の中心市街地である堺東を、以前のように、たくさん人の集まる楽しい街にしようということで、我々地元の商業者、高島屋さん、南海電車さん、ヤマハさん、地域住民の方、そして婦人団体の方々、また大阪府立大学の学生さんにも手伝っていただきまして、この2年間活動を行ってまいりました。 最初は、私自身、みなさんどれぐらい本気なのか半信半疑でやってきましたが、一年を過ぎたあたりから全員だんだんと熱が入ってきて、会員の名称もまちづくり懇談会という固い名前から、『そや堺 ええ街つくり隊』という少しやわらかい名前に変更いたしまして、現在に至っております。 昨年度より、イベントも少しずつ行っています。第一回目は残念ながら雨で市民交流広場を使うことはできなかったのですが、堺まつりの前夜祭ということで、市役所の高層館の1階にて音楽イベントを行いました。次に、昨年12月22日には、市長ご出席のもとに、政令指定都市100日前カウントダウンイベントといたしまして、これも同じく市役所の本館にてクリスマスコンサートを行いました。 今回も「堺東にぎわい劇場第3幕」となっておりますが、我々は、私達の基本理念でありますおもてなしの心をもって街を劇場のように、ということでこのような副題をつけています。本日はいまや国際的にも活躍なさっておられます40歳代のバリバリのお二人を講師としてお迎えいたしました。 御両名ともに堺出身の方でございますので、これから堺市が、そして堺東がどうなっていくかというところで、グローバルな観点からご提案いただき、本日ご出席いただいている皆様方と一緒に考えていきたいと思っております。最後までよろしくお付き合いのほどよろしくお願いします。 |
基調講演 テーマ「堺東」 (株)インフィクス代表取締役社長 間宮吉彦![]() |
| 【はじめに】 こんばんは。堺にすみながら堺東のことはあんまりわからないのですが、今日は私の仕事を通じて一緒にまちづくりを考えていきたいと思います。 空間デザイナーとして紹介していただいたのですが、何をやっているかよくわからないと思います。 空間とは何もない空っぽの間と書きます。そこをどういう風にデザインするか。デザインとは、何となく形というものだと理解されていると思います。「このデザインかっこいいやん」とか「このデザインかっこいいから買おうや」とか、何となくそういう形というものがデザインにつながっていると思います。 例えばファッションデザイナーは服をデザインします。また、工業デザイナーは家具や車のデザインをします。でも形をつくっているわけではないんですね。どういう人にどういう服を着てもらって楽しんでもらおうかという気持ちを形にしていく。それが結果として形になってきているわけです。ですから、そういうちょっとしたこだわりがデザインだと思います。 僕はレストランやブティックや美容室、また住居や家などを創っていますが、その空間でどういう風に時間を過ごしてもらおうか、楽しんでもらおうか、そういったことを考えた結果、店の形になったり家の形になったりするのです。その形というものに隠された価値観や、みんなが求めているものを形にしていくのがデザインということだと思います。 【空間をデザインする】 街も一つの空間であり、デザインが必要だと思います。建物の合間に道がある、それも一つの空間です。ですから、堺東ももう少し活性化していくためにはデザイン、空間、そういったものが必要だと思います。 例えば、銀座商店街に歩道がありますが、あれを石畳にしてしまう。歩きにくくなるのですが、その分ゆっくり歩きますので色んなものが目に入ってきます。また真ん中に川を作ると、道幅がせまくなってきます。そうすると自転車も置けなくなってきます。加えて、人々は行きに右側を歩き、帰りは左側を歩いて帰ってくるので、回遊性ができ、そこが散歩道となっていくわけです。ついでに天井もアーケードも取ってしまうと、雨がふってきますので、今は歩道に商品を出していますが、雨に濡れるので商品が引っ込んでしまいます。すると、そこに花を植えたり植物を植えたりすると、景観が変わってくるわけですよね。こうして街の形が変わってきます。それが一つの景観というものになってきます。 景観というのは、その場所にある歴史や人々の生活、形を作るデザインだと思います。そういった景観によって街ができてくると思うのです。僕はそういう街づくりを一つの店舗から活性化させていくということが仕事です。それを今日はご紹介したいと思います。 【店舗中心の街の発展―アメリカ村周辺】 これは大阪の心斎橋界隈のマップです。この辺は多くのお店が連なっています。お店によって街の景観ができているといっても過言ではないと思います。ここに○をつけていますのが僕のデザインしたお店で、このお店もこのエリアの景観になっていると思います。 ![]() 元々、この心斎橋界隈も大丸とそごうくらいしかありませんでした。ここで、30年ぐらい前静かな住居地区だった今のアメリカ村の場所で、アメリカへいって買ってきたジーパンやTシャツを、ガレージや空き地といったところで売り出しました。 その一つの目印として、アメリカの国旗を店の前に作ったわけです。こうしてアメリカ村が誕生しました。よそには売っていないもの、ただ単に空間にペンキを塗っただけの売り場は若者に受けました。そして20年あまりでどんどん店ができて、いまや修学旅行生が、バスで京都よりもこのアメリカ村へ乗り付けて買物をするというようなエリアになりました。 そして、アメリカ村が店舗でいっぱいになった結果、次にこの長堀通りを渡って、南船場、堀江といったところに店がどんどん移転していきました。はじめは何もなかった問屋街、住居街、オフィス街だった場所に、ぽつぽつと店ができることによってまた店ができ、広まっていきました。 そういう風に、アメリカ村周辺のエリア、そして北の南船場、西の堀江といった場所は、お店を中心に街づくりが広がっていきました。そして今、心斎橋界隈は全国でも有数のトレンドエリアとして全国から若い人たちが買物にやってくるエリアとなったわけです。 【街と店舗の融合―堀江周辺】 次にご紹介しますのは、家具屋通りで何もなかった堀江の街の活性化のきっかけとなったミュゼというお店をご紹介いたします。 ![]() これは8年位前に堀江に造りました。この頃は少し静かな住宅地でしたが、何軒かのお店ができ始めていまして、ある方に、この堀江公園の前にカフェを創ってほしいということでデザインを依頼されました。カフェというのはお茶を飲んだり食事をしたりという飲食のお店ですが、それだけではなく、そこに人が集まり、新しい文化ができていくという空間です。 僕はあえてそのお店を単なる商業施設ではなく、一つの小さな美術館に見立ててデザインしました。あまり何かサインや看板をつけてしまうとその店の名前で呼ばれてしまいますが、この一つの建物がランドマーク、目印になることによって堀江公園の前の白い建物、という風に地域として呼んでもらえるようになります。そしてその地域を目指してたくさん人がきてもらえる。そういうことを考えてデザインしました。 建築からやりましたので完成までに半年位かかってしまいましたが、その頃から話題になりまして、オープニングには3,000人ぐらいが集まりました。その人たちがこの地域を宣伝してくれたことであっという間にお店ができ上がり、今の堀江地区の成果につながったというお店です。1階がカフェ、2階がギャラリー、3階がサロンとなっているのですが、1階はなるべく街と一体化できるように全てオープンにできるようにしました。 こうしてインテリアとエクステリアの境界をなくすということで街と一体化できます。そうするとどこまでが中でどこまでが外か分からなくなりそうですが、そこにはきちっと空間としてのしきりがあります。入りたくてもなかなか入れない壁を作らないといけません。やはり、見られるという意識を店のデザインとして取り組んでいかないといけない。見ていただくとわかりますが、中と外で高さが50センチぐらいあがっています。そうすることで座っていても歩いている人との目線が同じになります。お店が一つのステージになっているわけです。そうすると、中でお茶を飲んでいても見られているという意識からすごく緊張して、それがかっこよく写ります。そういう風に、店と街を一体化するようにデザインしました。何気なく造っているようですが、色々と隠されているものがあるのです。そういった気分とか気持ちを形に表して店舗を造っています。その店舗がきっかけとなり、たくさんの店舗ができました。 先ほどのお店から歩いて5分ぐらいの場所に空き地がありました。当初はここにマンションやオフィスビルを建てる計画だったのですが、この界隈が商業施設として発展してきましたので、この土地のオーナーに、この土地に10軒ぐらい店舗が入る複合施設を造ってほしいと依頼されました。簡単に10件ぐらい店舗の入る建物を造るのであれば、四角い箱を造ってそれを割っていけばいいんですが、やはりこういう町並みの中にいきなり箱ができてしまうと周りとのとりあいという点で景観が損なわれてしまいます。僕は街のつくり方として、建物を1棟造るというのではなく、1棟1棟の店舗が集合体になる、という逆の発想で考えてみました。出来上がっても街と一体化して違和感なくデザインとしておさまる、そういう風に考えて造った店舗です。 ![]() ![]() この写真のように小さなお店がたくさん入居できるように創りました。たまたま三方が道路に面していましたので、中に中庭を造りまして、自然に中に入っていける形にしたんですね。そうすることによって、全てのお店が道に面した感覚で自分達のエリアを作ることができると考えました。2階部分にはレストランとヘアサロンを作っています。これも中庭を挟んでお互いが自分の景観になるように、ヘアサロンからレストランが見えたり、レストランからヘアサロンが見えたり、自分達で街の景観を作るような計画を作って建物を作っていきました。これはちょうど前のビルから見たところなのですが、道から自然に中庭へ入ってその中にたくさんの店があるということを計画しました。これは中庭からそれぞれのお店が見えるところですが、こういう風に街の中に自分達の一つのエリアを作り、お互いが刺激しながら店を運営していきます。300坪ぐらいでこの店舗は出来るのですが、何かこういったものが一つ堺東に出来ると、そこからどんどん回りに広がっていくのではないでしょうか。堀江周辺も、この建物の周りには当初お店がなかったんですが、どんどんお店が広がっていく起爆剤となった商業施設です。 【先入観への挑戦―マクドナルド】 そういう風に僕は街を活性化、場所に合ったお店作りをしていくわけなんですが、次にご紹介しますのが、みなさんよく知っていらっしゃるマクドナルドです。これはチェーン店ですので場所や時代はあまり関係はないのですが、人が楽しむ空間作りということにおいて、マクドナルドでどういったことができるのかということを考えてデザインしました。 これはちょうど4年ぐらい前にデザインを依頼されたのですが、その頃、180円だった1個のハンバーガーが、デフレの影響で1個60円に値下がりして、およそ価格が1/3になりました。が、それで3倍お客さんが入るかというとそうでもありません。ハンバーガーを食べる空間というだけではなく、物を食べる空間ということも一緒に考えていかないといけないのではないか、ということで新しいマクドナルドを創ってくれとデザインを依頼されました。 ![]() これが元々あった建物です。僕がマクドナルドに提案したのは、新しいマクドナルドを作るのではなく、新しい飲食店を作ろうということです。そうしないとマクドナルドという先入観を皆さんお持ちなので、新しいお店ができたということにしましょう、一切マクドナルドの看板はつけないでおきましょう、と言ったのですが、それはちょっと困るということで、なるべく目立たないようにしようと、こういう大きな看板を外しまして白に白文字でマクドナルドと書きました。ほとんど見えないのですが、この看板に代えるのにだいたい1ヶ月ぐらいかかり、やっと許可をもらってサインを変えました。しかし、やはり建物として、建物とサインが分かれていますのでサイン自体は分かりづらいですが、建物を一体化することで新しいお店ができたという印象を造ろうということにしました。 もう一つ大きく変えたのは、この花壇です。犬がオシッコすることぐらいにしか使われていなかった花壇を潰しまして、ここをテラス席にしました。そうすることで出入りが出来る開口部ができて空間がぐっと広がっていくわけです。もちろん2階もありましたが、なかなか2階があるということもわからなかったのです。そこで、席がありますよということをわからせるためにあえて2階の天井に照明をつけましてイスも高くしました。同じマクドナルドでも、人々の使い方次第でデザインも変わっていくということを考えてデザインしたお店です。夜は、実際にはアルコールは売っていないのですが、ビール一杯でも飲めそうな、今までマクドナルドではなかったデザインに建物と一体化して作ってみました。また、これも単純なことなのですが今まで開かなかった窓を開けることでとてもカジュアル感,開放感が出てくるんですね。イスの高さも低いイスから高いイスにすることで、ファーストフードのカジュアルさを演出できたと思います。 2階の空間も作ったのですが、だいたい一つの空間は同じデザインで統一されるのですが、ここはあえて空間を3つの空間に仕切りました。食べ物はいつものハンバーガーでも、ここで食べるときと向こうで食べるとき、空間が変わることによって味は変わらないですが雰囲気はかわります。 空間を楽しんでいただけるような、「マクドナルドあんまおいしないけど空間がええからいきたいな」と, いわれるようなものを造っていきたいなと考えてデザインしたマクドナルドです。これをきっかけに全国のマクドナルドもこう言ったデザインに変わってきています。 【ふるい街を「いかす」―レストラン「ノースクラブ」】 こうやって、あるものを、デザインを変えることによって違うものに変えていく、リノベーションともいいますが、改装するといったものもデザインなのですが、これから紹介する2件はコンバージョン、つまり用途を変えるということです。 例えば今まで銀行だったところをブティックにしたり倉庫であったものをレストランにしたりと、建物全体の用途を変えていくためにもデザインが必要です。堺も古い街ですから、そういったものが残っていると思います。そういったものを今によみがえらせる、そういったことも必要だと思うのです。そういった例を2件ご紹介したいと思います。 これは大阪の福島の、朝日放送の前にありますノースクラブというレストランです。これは木造の酒屋の倉庫をコンバージョン、用途変更して使いました。もともと木造の倉庫だったのであまり何もつけずにそのまま活かしていったほうがおもしろいのではないかなと思い、その木造倉庫の屋根裏が見えるようにここに穴をあけました。倉庫ですので大きな開口部があるんですね。その開口部がどうしても大きすぎるので、シャッターを半分閉めた状態にしています。みんな開いてるのか閉まっているのかよくわからない、シャッターが半分閉まっている店、そういうことをデザインとして取り入れることで、ここに何ができたかということに興味が湧いてくるわけです。あえて半分シャッターの閉まったお店を作りました。こういう一つの空間がありまして、店内と動線が進みます。で、店内は昔の木造倉庫の空間で、天井が7mぐらいあるんですが、それを活かしたデザインにしています。 ただ、すごく広すぎる大きな空間ですので、飲食店として居心地がいいように、たとえばこういう段を作ってステージを作ったり中2階を作ったり、飲食店として、和める空間として大きな倉庫をデザインしていきます。そして、真ん中に何か印象に残るシンボル的な何かを作ろうということで、元々酒屋さんの倉庫ということを利用し、ワインボトルの底に穴をあけて電球を入れましてワインボトルでシャンデリアを作りました。ワイングラスもいっぱい釣ってシャンデリアを作りました。そうするとかならず皆「なぜこれがつってあるのですか」と聞くわけですよね。そうすると、店員さんも「ここは元々酒屋さんの倉庫で、そういったことでデザイナーさんがこういうワインボトルのシャンデリアを作ったんです」というとわかりやすいですよね。そして、それを聞いたお客さんはみんなにそういうことを言うわけですよね。「前行ったお店はシャッターが半分閉まってて、入ったらすごく広いし、酒屋の倉庫を利用したらしくて、ワイングラスでシャンデリアを作っている。」そういう風に聞くといきたくなるわけです。そういう分かりやすさも一つのデザインだと思うのですね。 【歴史を「いかす」―EHバンク】 最後に神戸の居留地にありますEHバンクというレストランとブティックです。70年ぐらい前にできた銀行ですが、20年ほど使われずに倉庫として使われていたんです。そこをレストランとブティックに改装してほしいということでデザインの依頼を受けました。もう古い建物ですので何をしてもいいといわれましたが、こういう歴史的な建造物に手を加えるのではなくて、あえて僕はその歴史をよみがえらせようということで、外壁に足場を組んで外壁を掃除してもらったんですね。すごくお金はかかりましたが、そうすることで70年前のいいデザインがよみがえってきたんですよね。 デザインをするということは、何も新しいことを作るというのではなく、掃除をしただけでもいいデザインが生まれてきます。僕はここを掃除しただけで神戸市の景観賞という賞というものもおまけでいただけました。そして、そういう風にきれいになった外壁にライトアップをして、そこに小さくお店の名前をつけた外装にしました。で、あちらがレストランの入り口です。こういう照明も昔のままのものを復旧させ、古くなった蝶番とかゴムとかといったものも一つずつ直していってよみがえらせました。 こちらはブティックの入り口です。3つある窓の1つを入り口として開口部を造ってブティックの入り口としました。これはレストランの店内ですが、これもすごく立派な大理石や鉄の装飾物が残っていましたので、なるべくこれを活かしてお店を作っていくと言うことでこれも同じくクリーニングをしてきれいにしてもらいました。あえて何かおもしろみを作ろうということで、2階にいくのに金庫室を通って階段を通る、そういった動線計画も考えていきました。僕が何に一番悩んだかというと天井の色なんです。こういう立派な様式をそのままレストランとして使っていくには少し重たい感じがしますね。やはりここは食事をする場所ですので何かカジュアルさが必要ではないか、ということで天井を鮮やかな青い色に塗りました。みんな入ったときに天井が高いので絶対に上を見るわけです。そのときに鮮やかなブルーが目に入ってくると気分がパッと軽くなる。そういったものを造れないかなということで天井の色をあえてこういうブルーにしました。こういう風にしていろんなことを使いながらお店をつくっていくわけです。 なんとなく空間デザインというものがわかってもらえたと思いますが、やはり空間というのは、生活する場なんですね。デザインというのはその生活に潤いを与えていくというもの、美意識、こだわり、そういったものかなと思います。それが多分、文化みたいなものにつながっていくと思うんです。 その文化というのも難しいものではなく、音楽を聴いたり、映画を見たり、食事をしたり楽しく過ごす。そういったことが文化だと思います。だから街にも文化が必要ですし、堺東にもそういった文化が必要だと思います。そうすることによって人が集まり、楽しくなり賑わい、街が活性化していくと思います。 |
映画監督 阪本順治![]() |
| 【はじめに】 僕自身は27年前に堺を出て東京で学生の頃から映画界に入ってやってきていますから、地元に戻って地元の話をといってもできないので、自分が映画界にいてロケをして見てきた場所や映画にまつわる街の話を中心に話そうと思います。 私は色々な場所にロケにいき、そこの観光課の人がこの街の観光地を案内してくれて、ここを撮ってほしいということで紹介してくれるのですが、映画監督は観光地じゃないところを撮りたがるんですね。映画を見に来るお客さんも観光地を見に来るのではないと思うんですね。そこにどういう人が住んでいてどう違う生活をしているのかということを見に来ると思うんです。 例えば、黒澤 明監督の「生きる」という映画や「七人の侍」でも、いわゆる表ではなく裏のたたずまいを描いています。山田洋次監督は特にそうですし、小津安二郎監督にしてもそうです。そういう意味で、この堺東界隈を見ていくと、僕にとっては路地のような場所というか、表舞台とは違う裏側のおもしろさっていうのがあると思います。僕にとっては、メインストリートは商店街じゃなくて、意外と路地で、大小路通りになるのかなと思います。路地を辞書で引くと家と家の間の狭い道と書いてありますが、そういう意味ではなく、人間くさい臭いのする場所という意味でいっているんですが、今こういう意味での路地という場所がこれから注目されるのではないかなと思って話をさせていただきます。 【若者からの街おこし―別府温泉事例】 藤山直実さんの「顔」という映画で別府という温泉町でロケをしました。別府には主要な商店街が2つあるんですが、ロケの時には一時の勢いはなくて、その両方がシャッターロードのような朽ち方をしていました。ところが、去年の暮れに改めて行ってみると、少しシャッターが開いているんですね。これは別府に大学が二つぐらいあるということもあるんでしょうが、そのうちの一つが立命館アジア太平洋大学というところで、そこの留学生の方が自分の国の料理をもてなすというお店をいくつか開いていたんです。それは、商店街の人たちが援助をして、シャッターが閉まっているぐらいなら学生にアジア料理とかイスラエル圏の料理とか、その国でしかつくることのできないパンの店を開かせるために協力しているということなんです。 学生ということでいうと、新宿にゴールデン街という路地裏の居酒屋があるんですが、そこも一時の勢いをなくしてシャッターが閉まっていたんですが、今、また新しく店が出来ているんです。それは、その街の人たちが学生に安い賃料でお店をやらせているんですね。早稲田の学生がやっているお店とかもあります。今まで映画人や演劇人など胡散臭い人が多かったゴールデン街を、今では学生さんが歩いて飲んでいます。そういう学生を中心に店を開かせているという例をみました。近くでいうとジャンジャン横丁があります。僕は何年かロケをしてきて、あそこのイメージは悪いですし、みなさんもしばらくいってらっしゃらないと思いますが、今行くと、昔、日雇いの人しかいなかった店に若い人が並んでいるわけです。しかも1軒や2軒じゃなく、列をなして食べに来ています。若い人もぴかぴかできれいな表舞台だけではなくて、ああいう路地の雰囲気とか匂いに興味を持っていると思います。 去年今年とヒットした「オールウェイズ 3丁目の夕日」という3丁目の路地が舞台の映画でも、映画館に行きますと、中高年だけではなくかなり若い人たちも見に来ています。こういった若い人たちは懐かしさではなく、新しいものを求めてきているんだなと感じます。パソコンの中のヴァーチャル的なものに興味のある若い人の片一方では、そういうものではないものを好きな子達がいると思います。 【映画を利用した街づくり―プサンと湯布院】 堺の事情とはかなり違いますが、映画で街おこしを成功した都市が2つあります。その1つが湯布院です。湯布院はいわゆる隠れ里として、湯治場的な温泉のイメージで、別府とは違うということで口コミで広がり栄えたというのは事実です。が、実は、その湯布院のある旅館のご主人が元々東宝の映画の助監督だった方で、その人が街おこしで映画を用いて、もっと外からお客さんにきてもらおうということで30年近く前に映画祭をはじめました。そこにゲストで呼ばれた俳優さんや映画人や文化人が東京に戻って口コミをかなり広げました。そうしてメディアを使いながら10年や20年かかって街おこしを成功させていきました。今でも映画祭は毎年夏に行われてますし、クラシックコンサートや年一度の教育映画・文化映画の上映会でも全国から人を集めています。 もう一つ、映画で街おこしを成功させたのが韓国のプサンです。プサンに国際映画祭というのがありまして、僕も4,5回お尋ねして市長さんともお会いしたこともあります。市長さんは映画で人を呼ぼうということで、市役所の中にフィルムコミッションというものを立ち上げたんです。ご存知の方もいるかもしれませんが、このフィルムコミッションというのは日本でも青年商工会議所が日本で一番早くはじめた大阪市を筆頭に各地の市町村の80箇所以上でつくられています。アジアのセンターになっているのがプサンです。では何をするのかというと、映画の撮影を誘致するわけです。プサンの風景を写真で紹介して、ここにくるとこういう風景が撮れます、という宣伝をしたわけです。それまでソウルでやっていた映画撮影をプサンに持ってくるということで、市役所が中心にやりました。 例えば、ある消防士の映画があるんですが、本当にマンション一つ燃やしたい、爆破したいと要求するわけです。ソウルではその許可がおりないんですが、プサンはそれを誘致しました。実際プサンでマンション一つ燃やして、消防車なども動員して撮影させたということがあります。「チング」という日本でも韓国でも大ヒットした韓国映画のラストシーンのために、プサンのある商店街を撮影のため1週間封鎖しているわけです。市役所の人が、これはプサンのためになるからと説得したってことなんです。ラストシーンというのは、商店街のある一つの電柱に主人公が雨の中もたれて死ぬわけです。その映画がヒットしてちょうど公開されている最中に僕がプサンのその商店街にいくと、その電柱をめがけて観光客が来ていました。そして、その電柱の横には何十年も持つモニュメントがつくられていました。映画の主人公がその電柱にもたれて死んでいるという写真が飾られてあるわけです。その写真を見ながら、映画を見た人が、主人公と同じ恰好をして写真を撮り合っているわけです。そういう風に市長を先頭にして映画で街を活性化しています。 その延長にプサン国際映画祭を立ち上げました。まだ7回目位なんですが、1週間の開催中に20〜30万人はプサンを訪れます。そのボランティアの募集には、全国各地から5,000〜10,000人、ボランティアの面接の応募があります。プサンは食べ物もおいしいし、市場は楽しいし、リゾートやカジノも充実していますから、いわゆる映画ファンだけでなく複合的に映画祭に参加しにきているんです。これに比べると東京映画祭は完全に負けています。この映画祭はアジアで唯一ちゃんとした映画祭です。昔は東京映画祭にきていた映画のバイヤーも、今ではみんなプサン国際映画祭で映画を見て買っていきます。たった6〜7年の間にこれだけになったのです。勿論そのためには、プサン市は億単位のお金を投じていると思います。 【路地を守る】 僕の後輩の若い映画監督がまちおこしの映画を撮っています。題名は「フラガール」といいます。これは実際にあった話なんですが、福島県いわき市に常磐という炭鉱町があって、その炭鉱が閉山される跡地にリゾート地を作ろうと計画するんです。で、出来たのが常磐ハワイアンセンターというもので、この常磐をハワイにしてしまおう、ハワイにいかなくてもハワイが楽しめるようにしようと考えたのです。それが何故映画になるかというと、センターができるまでの過程がおもしろいわけです。 今までは炭鉱を掘っているときに吹き出す温泉が邪魔だったわけですが、その温泉を逆に利用してリゾート、ハワイを作るという発想に変えたんです。で、何が面白いかというと、外からの業者を入れないで、できるだけ身内でやるというところなんです。できたホテルのフロントマンもホテルマンもウエイターもみんな元炭鉱夫なんです。いわゆるドーム型の温泉プールのステージで繰り広げるフラダンスも、炭鉱夫の妻か娘がやるんです。その妻と娘がものすごく訓練したわけですよね。食べ物も地元の食べ物、アルコールも地元で作った物というように、徹底して自分達だけで全て賄いました。外部の提案ではなく、自分達でプロデュースをするという過程がおもしろいので映画になったのです。 僕は熊野小学校というところにいっていました。子供の頃から熊野って書いてなんで「ユヤ」と読むのか本当に不思議でしたが、「湯屋」という、お風呂に入った後にお酒やお茶を楽しむ、いわゆるヘルスセンターのあった場所だったかららしいですね。街が元気な頃というのは、地元の人が集う、裸の付き合いをする場所があったんだなと思いました。 僕は堺にめったに戻ってこないんですが、たまに戻ってくると思うことなんですが、意外と堺の人はおとなしいなと思います。東京へ行って堺出身というと、柄の悪いイメージを持たれますが、帰ってきてみますと、堺の人はおとなしくてあまり前へ前へ出ようとしないのかなと思います。街を俯瞰的に見ても、堺東の商店街のあたりは非常にゴチャゴチャしてるんですが、戦後に空襲のあった所が区画整理されたため広い道が多く、伸びやかな部分もあって、せかせかした部分と伸びやかで落ち着いた部分が両方あるのが堺の人たちの気質なのかなと思います。そういうことを考えますと、これから堺市が政令指定都市になって急激に変わっていくとは思いますが、そういう堺の人たちの落ち着いたたたずまいみたいなものはこの街の支えになっているのではないかと感じています。 これから路地のような場所が若い人も含めて愛されるのではないかと思います。それと、路地という、おじいちゃんおばあちゃんが並んでいて子供が遊んでいて花火ができて立ち話をしているおばちゃんたちがいる、という雰囲気に、若い人々は憧れを持つと思うし、中高年の方々は懐かしいと思い愛着の持てる街になるのではないかと思います。 映画はきれいな事柄よりも裏を描きます。例えば、家族がいて、なかよく道を歩いており、実際その家族が家で仲良く暮らしていたならば誰も興味を持ちません。表では仲良く歩いているけど、中にカメラ入れたら不倫と家庭内暴力、そういうのをみなさん見たいわけですよね。だから映画というのは裏を見せていく世界なんです。そういうことを考えると、今の若い人たちも、ぶざまでもいいから人間の素の姿を見たいのではないかと思います。そういうことを基本において街というものを考えてほしいなと思います。 |
| パネルディスカッション パネリスト 坂本 武 『そや堺 ええ街作り隊 隊長 及びジョルノ専門店商業組合 組合長 阪本 順治 映画監督 間宮 吉彦 (株)インフィクス代表取締役 コーディネーター 忽那 裕樹(くつなひろき)(株)E−DESIGN代表取締役 |
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| ●忽那氏 我々ええ街つくり隊は「都市を劇場のように、街を劇場のように」、ということで、色々なイベントを開催しております。そこに関わってきていただいている、また住まれている人々の発表の場、また訪れる人をもてなす気持ちで展開しています。街の中で小さな場所を見つけて、コンサートのようなものを展開していきたいと思っております。 いたるところで、いろんな人たちが、自分を見てくれということを、発表できるような場が点在するような街を目指していきたいなと考え、みなさんと活動しています。ステージということではなく、住まわれている方々の歩いている姿自体が一つの演技のように美しく見えて、それぞれが自分の住んでいる街が舞台だと思えるようになることが最終目標だという風に思っています。 間宮さんからは、街を考えていくことも、一つのきっかけ作りからはじめよう、小さなきっかけでいいから、そこからみなさんに口コミで広がっていくようなコミュニケーションのあり方を踏まえて街は語り継がれていくものである、そしてそれには店がきっかけになるのではないかという提案をいただきました。非常に街に対して開いているということが写真でわかったと思います。私自身もいろんな店に行かせていただいてますが、キッチンまでオープンで、働いている方とも一体感のあるような作られ方をしていて非常に感動しています。つなげていくことの大切さということを提言いただいたと感謝しております。 阪本監督からは、路地の方に注目されているということでした。私も路地を歩いていて非常に楽しい思いをすることが多いです。表通りにはない街の裏側に潜むよさのようなものに視線、光をあててみてはどうかという話だったと思います。 お二人に共通するところとして、口コミで広めていかなければならないということがあったと思います。そこで、映画監督として、デザイナーとして、街がどのように見えているかがとても興味のあるところです。 間宮さんからまずはお伺いしますが、街がどのように見えているか、またデザインとしてその可能性、また街づくりに生かせるような資質はどう読み取っていったらいいかについて伺いたいと思います。 ●間宮氏 僕は街づくりをしているわけではないんですが、与えられた場所にどういうものを造っていくかということなんです。街というのは突然現れるものではないんです。最近は田の真ん中にショッピングセンターが突然できることがありますが、あれは街ではなく施設なんです。街は栄えて衰退して栄えて衰退していく中で発展していくものですが、その中には必ず歴史というものがあります。その歴史を誰かが読み取ってそこからきっかけを作っていくんです。歴史の中で培われたものが蓄積され、そこに住んでいる人にそれが文化として伝わっていっていると思います。 僕は全国の店作りをしていく中で、その土地の持っている歴史、人々の姿を取り入れて空間というものを作っていきます。そうしないと街になじめません。お店というのは遠くからきてもらうのも勿論大事ですが、周りの人たちが生活の一部として楽しんでもらうことも大事です。お店で一緒に食事をすることで友達になったり、お店で買物をすることでそこのお店の人と友達になったり、そういうコミュニケーションの場だと思います。だから、なるべくその地域の持っている状況みたいなものを判断して、今ここがどういうものを求めているかというものを、みんながわかりやすい形に設計していくという意味で土地感というのは大事にしています。 ●忽那氏 コミュニケーションはその辺に埋もれているという実感があるということですよね。コミュニケーションのきっかけが空間からできているという思いがあるんですね。 ●間宮氏 そうですね。僕自身は、旅行した先の文化施設なども気になりますが、やはりその土地での生活している人たちの姿が景観として現れていると思います。なぜみなさんがパリにお金を出して旅行にいくかといえば、エッフェル塔なども魅力なんですが、そこにあるお店であったりそこの街の人々の生活にあこがれがあると思うんです。自分もそこに入りたい、それを体験したいという思いが強いと思いますので、その場の力といったものは発信していく必要があると思います。 ●忽那氏 「その場の力」という言葉は非常にいい言葉ですね。それを読み取るというのはすごいと思います。阪本監督からは路地の話がありましたが裏側に潜むよさみたいなものが注目されるのではないかということですが、そういう見方を含めて、街をどういう風に見られているのでしょうか。映画のシーンも含めて街の見方というのを大切にされていると思うんですが。 ●阪本氏 街を見るときに、この街に元気になってもらいたいというような視点で見たことはないんですが、やはり何らかの歴史という大仰な言い方でなくても、何らかの染み付いたものに興味を持ってカメラを向けます。自分が映画監督でなくて一般人だと置き換えたとしても、やはり堺といえば、こうでこれがあるという著名な場所以外の本当のたたずまいもセットで見せていくことによって、街を訪れることによって、見たという感想でなくて、感じたという感想で帰ってもらえるようにしていってもらいたいと思います。 ●忽那氏 街に何か染み付いているという表現に感動します。発表していただいた中で、路地の佇まいという言葉が出てきましたが、作品をつくる上で、どういったものに佇まいを感じられますか。佇まいというものはどういったものに染み付いていると思われますか。 ●阪本氏 例えば堺市の市役所の庁舎、あれはきれいですがあれを撮ろうとは思わないですね。どこかの階のガラスが割れてビニールテープで裏から塞いであったりして、そこにドラマを感じたら撮るんですけど。 ●忽那氏 街の見方という意味では阪本隊長の方にも違った見方があると思うんですが、教えていただければと思います。 ●阪本隊長 私は、父の代から60年ほど堺東で商売させていただいており、文字通り堺東で育った人間です。 やはり、いい町になってほしいなと思います。私も若いころいろんな街を放浪しまして、タウンウォッチングをするのが非常に好きなんです。いい町というのは興味がわいておもしろいですね。パリの話がありましたが、ブラブラ歩いてても、朝歩道に水をまいてゴミを流していたり、店で朝7〜8時にはパンが焼き上がってもう帰るという情景を見ることができました。 堺市は、今年、政令指定都市になりますが、神戸市、京都市、大阪市と大きい町に堺市が肩を並べるということなんですが、何も同じようにやらなくていいと思います。堺には堺のやり方があります。横丁があり、立ち飲み屋があり、居酒屋もあり、ファミリーで楽しめる店も一杯あります。できたらみんなで楽しめるようなこういう劇場を堺東の町にもほしいですね。 もう一つは、行政の責任にするわけではないのですが、街をつくるというのは何十年もかかると思うんです。だから、市長が変わっても誰が変わっても、例え100年かかっても、一つの目標に向って取り組んでほしいと思います。 ●忽那氏 100年続けていくのも、住まわれている方、訪れる方が、口コミで人に伝えていく、次の時代の子供たちに自分の好きな場所、好きな路地、好きなお店を見つけて伝えていくということが大切だろうと思います。 我々は、第3幕として町を劇場のようにするということをキーワードに掲げていますが、少し街の資質を捉えて、街と連続しながら、人がいる楽しさや美しさを感じられる舞台を創っていくという話がありましたが、街を劇場にしていくというキーワードに対してもう少しアドバイスがあれば聞きたいのですが。 会場の質問で間宮さんにこういうことをお尋ねしたいということがありましたが、お答えいただけますか。 ●間宮氏 堺東に何かを作るということであれば、堺東の人たちが楽しむのではなくて、世界中から注目されるようなものを創らないと地元の人たちも集まって来ないですよね。それは多分、堺にしかない文化、昔は千利休、今は阪本監督でしょうが、例えば、彼の作った映画は必ず上演する、必ず主演女優を呼ぶ、例えばハリウッドのように手形を押させるといったものが必要ですね。本当は地道にものづくりをしていかなければならないんですが、なかなか人の心は地道なものに動かないんです。そういった大きな仕掛け、それを行政を含めた地域の人々で行っていかなければならないものと思います。 ●忽那氏 できればそれを舞台の上で行っていければいいと思いますが、そのときに住まわれている人々は見られる立場になりますが、間宮さんは設計されたものにもてなされる気持ち、設計したもので、もてなす気持ちの2つの気持ちに変化はありますか。 ●間宮氏 自分が行くときは勝手にいきますのであまり意識はしていないです。 ●忽那氏 いつももてなす気持ちを持ちつづけている。その気持ちをデザインにこめているということになるんですかね。 ●間宮氏 そのとおりです ●忽那氏 この前行かせていただいた立花の街づくりでデザインをされている中で、街づくりを行っている方々とのコミュニケーションをする際大切なことを教えていただきたいのですが。 ●間宮氏 キーになる人が何人かいらっしゃって、その方々が様々なものを引っ張っていきます。僕も引っ張られていますが、一つ一つの点が面となって活動していかなければならないと思いますし、やはりその際に、わかりやすさ、キーワードみたいなものが必要と思います。 例えば、さっきいったように、銀座商店街の名前を変えてしまうとか。それには、なぜ変えるかという理由があるんですよね。そういったものにみんなが賛同すればみんなが一つの方向に向いていくと思うんです。街づくりは難しいものですから、それをまとめる人は必ずいます。そしてそれについていく人もいます。それをみんなに伝えるキーワードも必要です。それらが一体となって進んでいくとうまくいくと思います。それは先ほど阪本監督が仰有っていたようなプサンであったり湯布院であったりするんです。やはり誰かが仕掛け、それをバックアップし、それを打出すキーワードがあるということが重要です。 ●忽那氏 そういうことも含めまして、街を劇場にしていくという時の仕掛けのあり方、きっかけ、その辺りや、劇場になるというシーンでどのようなシーンが連続するのが街としていいのか、その辺りのことを阪本監督からうかがいたいと思います。 ●阪本氏 監督という職業は、造っているようで壊しているような職業ですので、どうすればいいか、がなかなかないんですが。いい時は何が原因で何が原因で悪くなったのかということは分析されていると思います。御堂筋線が中百舌鳥まで延びたことや、堺東が堺の入り口であるという事実に寄っかかっていた部分などもあると思います。答えにはならないかもしれませんが、堺市はものすごい特徴のある街です。天皇陵があり、ちんちん電車が走り、フェニックス通りがあって、多種多様な顔を持つ場所なので、何を前に出せばいいかはすぐには思いつきませんが、かなり面白い場所だと思います。自分達の足元を見るための入り口、堺の特殊な部分をピックアップしていくことで、前に出すべきものが見えてくるのではないかと思います。 ●忽那氏 色々なものが一つに集まっているからこそ堺だという話なんですが、街づくりするにしても色々なことを言う人がいるし、それをうまく束ねていくということが重要であるということはあるにせよ、いろいろなものの見方があるということを知るということは、劇場のようにという中でも大切なんだなと思います。 堺をどうしていったらいいのかというのは難しいですが、阪本隊長はお二人にお願いすることも含めてこれからどうしていきたいと考えておられますか ●阪本隊長 ずっとそこで商売している商業者というのはマンネリ化してしまってあまりいい動きをしないと思います。だから、街を活性化するのは、若いモノとヨソモノとバカモノ、というのは良く聞きますが、特によそものの若者を取り入れて街を活性化するのが一番いいのではないかと思います。勿論地元の人も頑張ってもらいたいと思います。 ●忽那氏 商業者でここに来ていただいた方に、街を劇場のようにしていく参加者になっていただければと思います。こういったシンポジウムなどにも積極的にご参加していただけたらと思います。お二人の言う色んな見方を集めて、堺のおもしろさを発見していこうという一メンバーになっていただければと思います。 ここで会場からの質問を紹介させていただきたいと思います。 阪本監督に対しては、映画を撮っていただけたらという話が多いようです。撮るとしたらどこで、といった質問や、好きな場所はどこかという質問がありますが、堺の中で染み付いているもの、好きな路地、いい佇まいの場所がありましたら具体的に教えてください。 ●阪本氏 どこの路地かというのは、物語が決まらないと難しいですが、ゴチャゴチャした部分と広い部分の緩急みたいな部分は非常におもしろいので、そういった緩急とドラマの緩急をつなげることができればおもしろいんじゃないかなと思います。興味がありながらなかなか踏み切れないのは、地元で撮るのは大変で、人を止めたり車を止めたり商店の前を封鎖したり、地元の人に迷惑をかけるからです。普段はやり逃げにしていますが、地元ではやり逃げにできないじゃないですか。そういった難しさを超えて、堺でしかとれないものが見つかったときには、カメラを持ってこようと思います。 ●忽那氏 堺に染み付いたものがあって、阪本監督が撮りたくてうずうずするような街に、まずはこちら側でしてからということになるんですかね。 ●阪本氏 今日の夜から考えます。 映画そのものが堺のイメージをどう広げるかというのが撮る前からあるわけではなく、結果的にそうなればいいと思います。そのときには、地方で映画を撮るということは、地元の人と一緒に映画を撮るということなんです。夜食を作ってくれないかとか、人を停めてくれないかとか、古い車を持ってないかとか、そういう働きかけもあるわけです。映画ってこんな風に撮るんだということも含めて、映画ファンを増やしていければということも2次的に考えつつ映画を一緒に造っていくということなんです。 ●忽那氏 映画というきっかけを作って、自分の出来ることを寄せ集めながら映画を作っていく。街づくりとは違うスパンではありますが、きっかけ作りになるという意味でとても参考になるなと思います。 普通に映画を見ていて、何でもない風景をそのまま撮ってそのシーンを印象づけるというところにはまったりするんですが、何でもない風景の中に全てがあるということを教えていただいていると思います。 間宮さんについての質問ですが、堺東で手がけた店というのはあるのですか、これから手がける予定はありますか、これからやるとすればどういうデザインをされるのか、何を意識してデザインをされますか、また、景観をつくるという意味も含めて、どうでしょうか。 ●間宮氏 昔、堺東で手掛けたことはあります。昔すぎて忘れてしまいましたが。基本的に僕は仕事を依頼されて、その人がどんなことをしたいかということを具体的にしていく職業なので、自分から進んで堺東を創るということはまずないと思いますが、後々、街全体として、僕のデザインが成り立っていくのであれば是非やりたいと思います。 ●忽那氏 もし手掛けると仮定した場合、どういうことを意識して何を大切にしてデザインされますか ●間宮氏 実際、僕も堺市に住んでいますし、レストランやブティックや住宅も作るんですが、ここ最近デザインの依頼が多いのは医療関係なんです。病院は、皆が生活していく上でなくてはならないものですが、できることなら行きたくないわけです。でも行くんであれば、デザインがきれいで、安心感があって、心が安らぐ場所であればいいし、デザインも治療の内だということなんです。 例えば、堺の人は堺で結婚式を挙げる施設であるとか、もう少し地域に密着した施設、その人たちが日常の中で使っていくものにデザインを入れていくことで、豊かな都市になっていけばなと思います。 ●忽那氏 もう一つ質問です。街づくりに興味を持っている方が多いこともありますが、今まで見てきた成功した街づくりと比べて、堺東との違い、堺東に足りないものを教えてください。 ●間宮氏 利便性を追求した結果だと思います。モノを買うに当たって通販やインターネットでも買えます。やはり店に来てもらうためには、デザインのような、人の気持ちを動かすものがないといけないと思います。感動がなければ、便利だけどわざわざ行く必要はないと思われてしまいます。地方の町へ行きますと、駅前がどこも同じような景観になってしまっていますが、やはりその土地の持っているものを街全体で表していくためには、少々の犠牲を払ってでもそこに住んでいる人たちの生活をある程度創っていかないと、利便性を追求するだけではだめだと思います。堀江でも、家具屋さんの衰退で余ったスペースでフリーマーケットを開き、家具屋さんに来なかった人に向けて家具も商品換えしていったことで商品が売れ出した、など、お客さんを呼べるきっかけを作り、そこに来てくれた人に合わせてモノをつくっていくということも必要です。 ●忽那氏 ゴチャゴチャになってしまっているところが足りないところで、堀江の場合は堺より落ち込んでしまった結果、若い人たちが連携して動き出したということなどが、堺東に足りないことなんでしょうかね。 阪本監督は堺東に足りないものはなんだと思われますか ●阪本氏 たまに帰ってくると、通りを歩いている人が地元の人を含めて少ないですね。これを見ると、活気を演出するしかないのかなと思います。家にいる人に全員外にでてもらうとか、ベンチを置いておじいちゃんおばあちゃんに座ってもらうとか。 「どついたるねん」という映画がヒットした理由があって、これは全国公開ではなく、大阪で3ヶ月、東京で6ヶ月、ドームを建てて上映したんですね。こういうロードショーってないんですよ。これをプロデューサーがドームを設計したんですが、このドームは、平日は客席を減らせるんですよ。可動式にして日曜日は増やします。そうすると、平日そう観客が入っていなくても、出てきた人は「まぁまぁ人入ってたよ」というんです。これは大事で、逆にみんなうちの街はおもしろいと言っていくことが大事だと思います。外観や道の作り方などの問題はありますが、とりあえず人がやれることは、いっぱい歩いて結構人通りあったよと言うことが大事だと思います。人が自分自身の体で演出するということがみんなに伝わっていくといいのかなと思います。 さっき今日のイベントと同時開催で昔の堺の写真展を行っているといっておられましたが、それの延長で、各家にある古い写真を引き延ばして、写真展なんかでなく、街角に飾るようにしてもおもしろいかなと思います。 ●間宮氏 堺はいろんなコンテンツがあってモノ作りも盛んでおもしろいんですが、他の地域からももっと来てもらおうとするのであれば、そこへ来て、そこで買って帰れる名物があったり、食べるものがあったりしないとなかなか伝わらないですね。京都へいくと、京都のものを買って帰りたくなるし、京都のものを食べて帰りたくなる、それが京都という観光都市とセットとなって栄えると思うんです。 京都と奈良を比べると、奈良はそういったところが少し弱いと思います。モノでいえば奈良のほうもいいものはたくさん残っていますが、食べ物はなんとなく奈良のほうがおいしくない気がします。堺に来てもらうきっかけというのは、アピールするものは包丁や工芸品などたくさんありますが、そういう遺産と、今の人が欲しがるお土産のようなものをセットで売って行くと、必ず来てもらえると思います。 ●忽那氏 外に出て街を賑やかにすること、仕掛け的なおもしろさ、それから自信をもてる工芸品などを見える形で人に分かりやすい形で伝えるということを助言としていただきました。 こういったアイデアは是非やってみたいのですが、阪本隊長の意気込みはどうですか。 ●阪本隊長 中心市街地に住んでいる方が少ないんです。今約1,000人ぐらいらしいです。昔は商店の上にほとんど住んでおられました。自治会のつながりや横のつながりができて、いろんな賑わいが創出できると思うんですが、今思いついたアイデアというのは、中心市街地に住むと市・府民税が安くなるとか、そういったことも考えていただいたらどうかと思いました。 ●司会 どうしても聞いてほしいという質問が私の方にまいっています。阪本監督に、次回作の映画についてコメントしていただける内容がございましたらお願いしたいです。 ●阪本氏 原作があって契約が終わっていないのでまだ詳しくは言えないんですが、59歳の女性の話です。 ●忽那氏 普通は絶対に聞けない話が聞けたと思います。時間も押し気味なので、最後にお二方の方から街づくりを進めていくこと、また来ていただいた方に対して熱いメッセージなど一言いただければありがたいです。 ●間宮氏 自分の町に自分が住んでいるということは、やはり自分の町を愛していかなければならないので、人が住める魅力的な街づくりが必要だと思うんです。まちというのは賑わいが必要ですが、外部から人がたくさん来てもらうようなところに住むという魅力を住んでいる人たちが造って、自分達の魅力的なまちを創って外部からきて潤う、そういったものを上手く創っていけばいいと思いますので、まずは人々の住んでいる生活のものの豊かさを町に表現すると、「なんかあの街に住んだら楽しそうだな」というところでアピールしていくことも大切なことだと思います。 ●阪本氏 結構精神論みたいなことをえらそうにいった記憶しかなくて、今日の夜に、みなさんに何の話だったんだと言われるかもしれないですけど、こういう機会がない限り、僕自身が自分の生まれたまちを見直してみようなんて、思わなかったので、私としては非常に有意義な、呼んでいただいてありがとうございます、ということなんですけど、愛着だと思いますね。僕も今日の夜から愛着を育てるんですが、具体例として提案できるのが一番いいかなとは思ったんですが、そこは控えさせてもらったんですが、たまに帰ってくるから思うことって重複しますけど、とっても不思議な街です。日本の中で。だからこれからみんなで考えていきましょう。 ●阪本隊長 私も「ええ街つくり隊」としてやらせていただいてるんですが、我々の力なんて微々たるものでどうしようもないんです。今日来ている方々も他人事とは思わないで、自分達のまちだからなんとかしようやという気持ちで是非「ええ街つくり隊」に参加してください。 ●忽那氏 どうもありがとうございました。短い時間でしたが、パネルディスカッションの方をこれで終わりにしたいと思います。 本日、お二人に、まちのいろんなものをつなげていくことの大切さを教えていただき、みんなでまちの見方を考えていこうということになりました。何でもないようなものに価値とか資産があって、それを炙り出していこうということで、それは映画であったりすると思います。また、まちを創っていくきっかけとなる店を作るときには、まちを創るよさを引き出すことにつながっていくことで、それは何も映画とか間宮さんのようなデザイナーの方だけがやることではないんだろうなと教えていただいた気がします。 このお二人のように全員がなれるわけではありませんが、みなさんそれぞれの視点というのが非常に魅力的でそれを集めてきたときに次の堺、街づくりのよさが何に向うべきかといったものも少し見えてくるのかな、そういう染み付いたものがあれば映画も撮っていただけるかもしれないし、間宮さんがお店を手掛けて、それがきっかけとなっておもしろい街になっていくということもありえるかもしれません。そういった思いも持ちつつ愛着とか、不思議な街だというのは、私は最大の評価だと思います。その不思議さを持っている、ある意味ミステリアスで探険する価値を持っている。 そんなおもしろいとこないじゃないのということで、いたるところでええ街つくり隊としてはそこでいろんな人たちのいる町を劇場のように創っていきたいと思います。 今日はみなさんありがとうございました。 |
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閉会の挨拶![]() ![]() |
| ●閉会の言葉 本日は長時間に渡り、堺東にぎわい劇場にお付き合いいただきありがとうございました。 『そや堺 ええ街つくり隊』は、まだまだメンバーが足りません。このジャンパーを着ていただき、堺を魅力あるまちにしませんか。どなたでも歓迎ですので、どうか事務局までご連絡ください。 今回、本日の講師のお二人には『そや堺 ええ街つくり隊』の名誉会員となっていただきました。このジャンパーをお二人に受け取っていただきたいと思います。 今後ともお二人が益々活躍なさるよう、みなさん盛大な拍手をお送りください。 |